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トレジャーハント 為政者の鑑 2/2

2013/01/30 00:47:45 | トレジャーハント | コメント:0件




トレジャーハントの紹介、第8回は「為政者の鑑」。

字数が多くなったので、2分割した2つめです。



「為政者の鑑」のレリックは2つです。

今回は、「ルキウス・ブルートゥス」を紹介します。




必要スキルは、探索9 考古学11 ラテン語。

発見場所は、ナポリ郊外の奥地カンパーニャ地方、南東にある逆さ岩です。

ラテン語はメモでも代用できますが、逆さ岩が3ヶ所あり迷いやすいので、予備を持って行きましょう。








アイテムの初代執政官の槍は、攻撃64、剣術+1、罠+1 となっています。

見た目は、槍というより銛ですね。 罠+1が付いているのが特徴です。

武器で罠+1が付いているのは珍しく、あとは春秋の短剣ぐらいしか思いつきません。


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ルキウス・ブルートゥス(以降ルキウス)は、第7代ローマ王「タルクィニウス・スペルブス」を追放し、

ローマを建国したロムルスから続く王政ローマを終わらせ、共和制ローマを設立したといわれています。

ブルートゥスといえば、ブルート、ブルータス、ブルトゥスなどと訳されます。

そもそも、ブルトゥスとは、愚鈍とかアホとかいう意味。

なぜ、ルキウスには、そういう不名誉な名前が付いているのでしょうか。

少々分かりにくい部分もあるので、少し歴史をさかのぼって紹介していきますね。

まず、王政ローマの王について、列記していきます。



第1代ローマ王「ロムルス」
 ラテン系。
 ローマを建国します。戦争に明け暮れ、ローマの基礎を作ります。
 ある日、豪雨の中で姿を消したとされますが、暗殺されたともいわれます。

第1代ローマ王(共同王)「ティトゥス・タティウス」
 サビニ系。ヌマ・ポンピリウスに一人娘を嫁がせます。
 近隣の国との諍いにより暗殺されます。

第2代ローマ王「ヌマ・ポンピリウス」
 サビニ系。ティトゥス・タティウスの義理の息子。
 賢者王とも呼ばれ、内政に励み、ローマを文化都市へと成長させます。
 40年余の治世で、一度も戦争を起こしませんでした。

第3代ローマ王「トゥッルス・ホスティリウス」
 ラテン系。
 隣国のアルバ・ロンガと戦争を行い都市を破壊。住民はすべてローマ市民とします。
 戦争に明け暮れた30年余の治世を行いました。

第4代ローマ王「アンクス・マルキウス」
 サビニ系。ヌマ・ポンピリウスの孫。
 戦争に厭いたローマ市民が、ヌマと同様の平和な治世を求めたとされますが、
 アンクスは戦争が苦手と侮った近隣諸国が侵攻を開始。しかし見事に退けます。
 その後は内政に励み、水道橋など水道を建設します。

第5代ローマ王「タルクィニウス・プリスクス」
 エトルリア系。初のエトルリア人からの王。アンクス・マルキウスの養子。
 マラリアに悩むローマの丘に囲まれた低湿地の水気を抜く水路などの建設を行いました。
 40年弱の治世の後、先王アンクス・マルキウスの実子に暗殺されます。
 アンクス・マルキウスの実子は、王になることに失敗します。

第6代ローマ王「セルウィウス・トゥッリウス」
 エトルリア系。先王が暗殺された後、先王の娘を娶り、王となります。
 セルウィウス城壁を建設するなど、内政に励みます。
 40年余の治世の後、娘婿のタルクィニウス・スペルブスによって暗殺されます。

第7代ローマ王「タルクィニウス・スペルブス」
 エトルリア系。傲慢王と呼ばれます。
 王政ローマ最後の王。ルキウスによって追放されます。



先王を暗殺し、王となった第7代ローマ王「タルクィニウス・スペルブス(以降タルクィニウス)」。

傲慢王と呼ばれ、先王を支持していた元老院の人物の粛清を行い、

ローマの全権力を自分に集中させ、専制政治を敷こうとします。

ブルトゥス家は、タルクィニウス王家と対立関係にありました。

それもあってか粛清の嵐の吹き荒れる中、元老院でルキウスの兄弟が粛清されます。

ですがルキウスは、わざと愚鈍なふりをして粛清の嵐を潜り抜けます。

そのようなルキウスを、タルクィニウスは自分への脅威ではないと判断し、側近に取り立てます。

王の信任を得たルキウスでしたが、タルクィニウス王家に対して憎悪を抱き続けたようです。



ルキウスには、ルキウス・コッラティヌス(以降コッラティヌス)という友人がいました。

あるときタルクィニウス王は、アルデーアを攻撃します。

これにコッラティヌスが従軍している際に、コッラティヌスの妻ルクレティアも同行していました。

この際ルクレティアは、部屋に侵入したタルクィニウス王の王子セクストゥスに強姦されてしまいます。

事件の後、ルクレティアは父親と夫を呼び寄せ、

父親はプブリウス・ウァレリウス(後の執政官)、夫はルキウスを同行し、ルクレティアの元に向かいます。

ルクレティアは、4人を前にすべてを語ると復讐を約束させ、短剣で胸を刺し自ら命を絶ちました。




これを機に、ルキウスは傲慢なタルクィニウス王とその一族を、エトルリアへと追放させるよう

市民に訴えます。

追放は成功し、以後は王を置かずに元老院に政務を担わせ、

元老院の代表として2人の執政官を置くことを決定。コッラティヌスとともに執政官に就任しました。

政治体制は元老院・政務官・民会によって成り立つことになります。

共和政ローマの誕生です。



しかし、執政官が元老院の意向で決められ、

またその被選挙権が40歳以上に限定されたことで、若い市民より不満が噴出。

王政復古の陰謀が明るみに出ます。

この陰謀にはルキウスの息子が加担していましたが、ルキウスは容赦なく処刑を行うなど、

厳しい対応を取ります。

タルクィニウス王とその一族は、王政復古計画が頓挫したことを知ると、同族のエトルリア部族と結び、

ローマへと侵攻してきますが、ルキウスはこれを撃退します。



コッラティヌスの死後、彼の後を継いだのが、同じく復讐を誓ったプブリウス・ウァレリウスでした。

ウァレリウスは、ルキウスとともに共和制の維持に尽力します。

ルキウスの死後、執政官がウァレリウスだけになると、

彼の家は丘の上にあり、市民を見下ろすところから執政するところから、

ローマ市民は、ウァレリウスが王位を狙っていると考えるようになります。

それを知ったウァレリウスは家を取り壊し、ローマ市民の自由と権利を守る法を作ったとされます。

冒険記にあるルキウスの言葉

「何人たりとも王たることを許さず、自由を危うくする者のローマでの存在を許さず」は、

ウァレリウスの言葉だと思われます。

ですが、この時代は、伝説と史実がはっきりしないため、

実際はルキウスの言葉なのか、コーエーさんの味付けなのかは不明です。



為政者の鑑として、「ルキウス・ブルトゥス」の名が挙げられていますが、

共和政ローマの礎を作ったのは、ルキウス・ブルトゥスを含めた、

執政官たちの尽力によるものでしょう。

特に、プブリウス・ウァレリウスは、後の世にも功績が讃えられています。


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ブルトゥスの名前を聞いて、「ブルータスお前もか」の言葉を思い出すかもしれません。

このブルータスは、ルキウス・ブルトゥスの子孫で、ユニウス・ブルトゥスといいます。

後の帝政ローマの礎を築いた「ガイウス・ユリウス・カエサル」を暗殺した人物です。









好きな時代のことなので、長々と必要以上に力を入れて書いてしまいました。

楽しんでいただけたでしょうか?
 
 

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