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和歌山県串本町に行ってきました 3 ~紀伊大島

2018/08/07 21:00:00 | ふつうの日記 | コメント:8件

「和歌山県串本町に行ってきました」の3回目は、「紀伊大島」です。

紀伊大島は、潮岬の東側にある離島です。

もともと潮岬も離島だったものが、砂礫が堆積して本土とくっついた陸繋島で、

紀伊大島と、となりの苗我島が、離島になっています。

現在は、くしもと大橋で繋がっていて、自動車での乗り入れが可能です。





こちらが、くしもと大橋。

嫁さんがスマホで撮影しているので、途中車がスピンしているように見えますが、

スマホが動いているだけなので許してください。

動画前半の直線部分は、橋梁ではなく、埋め立てたうえで道路を作っているようです。

ループ橋に入ったあたりが苗我島で、その後のトラス橋部分が橋梁部分で、

ここが、くしもと大橋と呼ばれる部分だと思います。



くしもと大橋を越えて、ずんずん東進していきますが、

なんとも大きな島なので、かなり走ることになります。

串本町に三重県方面から入っていくと、延々と海側に見えているのが、この紀伊大島。

そりゃ遠いはずです。



そして到着したのが、樫野埼

今回のドライブの目的地のひとつです。

樫野埼は、紀伊大島の東の端にある岬です。

この樫野埼の入口部分には、観光バスが何台も停められるほど、大きな駐車場があって、

トイレも完備しています。この駐車場は無料です。



  (今回の写真は、すべてクリックすると拡大できます。)



駐車場から先は、徒歩での移動となります。

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舗装は、インターロッキングになっていて、強い日差しと、美しい青空と海とのコントラストが、

すばらしく映えています。



IMG_8395.jpg

140mほど歩くと、トルコ記念館が見えてきました。



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こちらが、トルコ記念館。

大人500円、小中高生250円です。

ちょっと高いので、うちはスルーで・・・。



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日本赤十字社「平時国際活動発祥の地」



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トルコアイスのお店も2店舗あります。

もう1店舗は、トルコ絨毯など民芸品を置いていました。

まあ今回は、お勉強がメインなのでスルーします。

このお店の近くに、海難1890の記念樹が植えられていました。



そして、そのまま200mほど進んでいくと・・・

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こちらが、紀伊大島でのいちばんの目的地、「トルコ軍艦遭難慰霊碑」です。



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昭和12年に完成した慰霊碑とのことですが、手入れが行き届いていて、

すばらしく美しいです。

おもわず手を合わせていましたが、よく考えたら仏教の手合わせでした。

まあ、気は心といいますから、許してもらいましょう。



IMG_8408.jpg

追悼歌なるものまであるのですね。




さて、1890年にこの地で何があったか。

それは、エルトゥールル号遭難事件とよばれる大事件です。

以下、Wikipediaより抜粋。
木造フリゲート・エルトゥールル(1864年建造、全長76m)は、オスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねて日本へ派遣されることとなった。
1889年7月14日、イスタンブールを出港。11か月をかけて翌1890年6月7日に日本に到着。
横浜港に入港したエルトゥールルの司令官オスマン・パシャを特使とする一行は6月13日にアブデュルハミト2世からの皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。
出港以来、蓄積し続けた艦の消耗や乗員の消耗、資金不足に伴う物資不足が限界に達していた。また、多くの乗員がコレラに見舞われたため、9月15日になってようやく横浜出港の目処をつけた。そのような状況から、遠洋航海に耐えないエルトゥールルの消耗ぶりをみた日本側が台風の時期をやり過ごすように勧告するも、オスマン帝国側は、その制止を振り切って帰路についた。
9月16日21時ごろに、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールルは、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし22時半ごろに沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が海へ投げ出された。
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者の内、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりついた。
通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することが出来た。その一方で残る587名は、死亡または行方不明となり、大惨事となった。遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島村長に伝えられた。
その後付近を航行中だった船に、大島港へ寄港してもらい、生存者2名が連絡のため神戸港に向かった。神戸港に停泊中だったドイツ海軍の砲艦「ウォルフ」が大島に急行し、生存者は神戸に搬送、病院に収容された。村長は県を通じて日本政府に通報した。知らせを聞いた明治天皇は、政府に対し、可能な限りの援助を行うよう指示した。

以上、Wikipediaより抜粋。



ここまでの逸話は、現在中学校の道徳の授業で教えられているようです。

ですが、僕が子供たちに教えたかったのは、それから95年も経った後のこと。



以下、Wikipediaより抜粋。
1985年のイラン・イラク戦争で、イラクのサダム・フセインは、イラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言を行った。各国は期限までにイラン在住の国民をメヘラーバード国際空港から軍用機や旅客機で救出したものの、日本国政府は自衛隊の海外派遣不可の原則のために、航空自衛隊機による救援ができなかった。さらに、当時日本で唯一国際線を運航していた日本航空は「イランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とし、在イラン邦人はイランから脱出できない状況に陥った。
野村豊イラン駐在特命全権大使が、トルコのビルレル駐在特命全権大使に窮状を訴えたところ、ビルレルは「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答えた。ビルレルの要請を受けたトルコ航空は、自国民救援のための旅客機を2機に増やし、オルハン・スヨルジュ機長らがフライトを志願。215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコのアタテュルク国際空港経由で無事に日本へ帰国できた。

以上、Wikipediaより抜粋。



という内容を、かいつまんで子供たちに説明しました。

そして、世界には親日国がたくさんあること、

その多くは、過去の日本人の偉人が成し遂げてきたことが、親日に繋がっていること。

しかし、このエルトゥールル号遭難事件は、偉人によって成し遂げられたのではなく、

名もなき紀伊大島の住民によって成し遂げられたものであること。 を伝えました。

これには、中学生の娘も何かを感じ取ったようで、唇を引き締めていました。



僕たちの世代は、ただただ日本は悪であるという自虐史観の教育を受けてきました。

そして、そのために、近隣諸国に頭を下げ続けなければならないとも。

僕らが子供の頃なんて、親日国の存在なんて、習わなかったですから。

僕の母親なんて、日本は戦争で悪いことをしたので、世界中から嫌われていてあたりまえだと、

僕らに教えましたからね。たぶん今でも思っているのではないでしょうか。

だけど、その自虐史観ばかりでは、真の友好は望めないと考えています。

子供たちには、うちでは正確な近代史を子供たちに教えているつもりです。

そのためには自分もしっかり勉強しないといけないんですけどね。






さてさて、ずいぶん長い間、「トルコ軍艦遭難慰霊碑」あたりで話し込んでいたのですが、

ここ、木が生い茂っていて影になっていて、涼しい風が心地良いんですよ。

なので、暑さも感じることなく、そのまま樫野埼の奥に歩いていきます。

すると、いくつ左右が開けた場所を通るのですが、これがまた眺めがいいんです。

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これが本土側。

定置網が見えていますね。



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こちらが外洋側。

すっごくいっぱい大型船が通行していきます。

このあたり、暗礁が多いらしく、灯台の必要性が高いのでしょうね。



「トルコ軍艦遭難慰霊碑」からさらに180mほど進むと、立派な像が見えてきました。

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あらま!

トルコ共和国の初代大統領ですか!

ここにトルコ初代大統領の像が建てられているとは、まったく知りませんでした。

なんか・・・紀伊大島、思っていたより、ずっとすごい場所だった!



そして、その先には、樫野埼灯台があります。

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灯台内部に入ることはできませんが、外階段から灯台に登ることができます。

日本最初の石造灯台であり、日本最初の回転式閃光灯台とのことです。

灯台部分は無料ですが、併設されている建物は有料で、いろいろ説明を受けられるようです。

ちょっとお値段は失念しましたが、そんなに高くなかったような・・・。



この灯台にも登ろうかと思ったのですが、樫野埼灯台までが思ったより遠く、

次の予定が押していたので、ここには登らずに戻りました。

駐車場から片道で約600mほど。高低差もほとんどなく、お散歩程度の気持ちで入れます。

眺めがほんとうに素晴らしく、歴史やトルコとの友好が学べる、

気持ちの良い散歩コースだと思いますよ。






今日はここまで。

明日は、串本海中公園のことを書く予定です。



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コメント

ほう・・!

2018/08/07(火) 22:56:15 | URL | 今から #NvXTtAjQ
本当に無知なもので、この事件について。また、その後の逸話も全く知りませんでした・・。
やはり、人を動かすのは人の心なんですね。
お子さん達の心も動いたことでしょう。
大黒さん、とってもかっこいいお父さんですね!
男前です!!

Re: ほう・・!

2018/08/07(火) 23:18:01 | URL | 大暗黒天. #-
今から さん

> 本当に無知なもので、この事件について。また、その後の逸話も全く知りませんでした・・。
> やはり、人を動かすのは人の心なんですね。
> お子さん達の心も動いたことでしょう。
> 大黒さん、とってもかっこいいお父さんですね!
> 男前です!!

この逸話は、海難1890という映画が2015年に公開されているようです。
僕は観たことがないのですが、ちょうどAmazonプライムで見つけたので、
今週末にでも観るつもりです。

2018/08/08(水) 07:50:48 | URL | sarukitikun #-
この船の話はかすかに聞いたことがあります、当時はえらい事故だったんでしょうね〜台風の時は出ちゃ駄目ですね外に(^_^;)

Re: タイトルなし

2018/08/08(水) 22:26:08 | URL | 大暗黒天. #-
sarukitikun さん

> この船の話はかすかに聞いたことがあります、当時はえらい事故だったんでしょうね〜台風の時は出ちゃ駄目ですね外に(^_^;)

台風のときに出ちゃダメって日本人なら分かりますけど、内海国のオスマン帝国では、分からなかったかもしれませんね。

2018/08/09(木) 01:46:13 | URL | あや #-
紀伊大島の橋は対岸から見た感じも綺麗で景観にとけこんでいますよね。
2年くらい渡っていないので、そういえばこんな感じだったかな~と思い出しながら動画を見させていただきました。

紀伊大島は樫野崎の手前の海金剛までしか行ったことがないんですけど映画を見てからずっと樫野崎行って見たかったんですよね。

私も報道等でおおかた日本が悪かったと聞いてきたので、それを感じさせることを相方に言うとほんとに大暗黒天.さんが言っている内容(自虐史観の部分)のことを言って諭されます。

お嬢さんは実際遭難が起こった場所に連れて行ってもらってお父さんから後日談も聞いて心に響いたと思います。

2018/08/09(木) 13:25:58 | URL | きちにしき #-
イランイラク戦争の時に、エルトゥールル号
遭難事件を知ったような気がします。
日本は自虐史観の教育が蔓延ってしまって、
なんか歪んだ世界観になってる気がするんですよね~。
客観的に判断できるように、いろんな情報に
触れる機会を作るのって大事だと思います。
子供の頃には詳しく分からなくても、
頭の片隅に残ってるだけでもかなり違う気がしますね。

Re: タイトルなし

2018/08/09(木) 23:34:38 | URL | 大暗黒天. #-
あや さん

> 紀伊大島の橋は対岸から見た感じも綺麗で景観にとけこんでいますよね。
> 2年くらい渡っていないので、そういえばこんな感じだったかな~と思い出しながら動画を見させていただきました。
>
> 紀伊大島は樫野崎の手前の海金剛までしか行ったことがないんですけど映画を見てからずっと樫野崎行って見たかったんですよね。
>
> 私も報道等でおおかた日本が悪かったと聞いてきたので、それを感じさせることを相方に言うとほんとに大暗黒天.さんが言っている内容(自虐史観の部分)のことを言って諭されます。
>
> お嬢さんは実際遭難が起こった場所に連れて行ってもらってお父さんから後日談も聞いて心に響いたと思います。

中学生の娘なりに、消化できたようです。
数日経って、何か違いを感じられるようになりました。

Re: タイトルなし

2018/08/09(木) 23:42:17 | URL | 大暗黒天. #-
きちにしき さん

> イランイラク戦争の時に、エルトゥールル号
> 遭難事件を知ったような気がします。
> 日本は自虐史観の教育が蔓延ってしまって、
> なんか歪んだ世界観になってる気がするんですよね~。
> 客観的に判断できるように、いろんな情報に
> 触れる機会を作るのって大事だと思います。
> 子供の頃には詳しく分からなくても、
> 頭の片隅に残ってるだけでもかなり違う気がしますね。

客観的に判断できるように、いろんな情報に触れる機会を作るのって大事・・・
まったくその通りだと思います。
けど、20年30年前に比べて、各段にいろんな情報を得られる時代ですから、
情報操作も難しいですし、そういう面では現在の子供は恵まれているのかもしれませんね。

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